利用者のコラム1 │ ハッピーモニターオフィス

聴覚障害


辛かったり思い悩んだ時期

私は『聴覚障害』…耳が不自由です。

この障害によって不便なことが沢山ありました。 人それぞれですが「突発性難聴」や、他に色々な病気で聞こえなくなったりする人もいるみたいで、 最近では、「ヘッドホーン難聴」という言葉も生まれだしたとか聞いています。
私は生後3か月で、高熱により耳が聞こえなくなりました。 その中で悲しいことやつらい事や嬉しかったこと等沢山ありました。 まず、困ったことから書きたいと思います。
5歳頃までは普通の幼稚園と発音学校に通っておりました。 朝は普通の幼稚園、昼から発音学校でした。 普通の幼稚園は健常者たちと一緒に遊んだり遠足行ったりしましたが、 その時、困ったことは友達が自分の補聴器を壊した事でした。自身はまだ幼く補聴器の大切さを理解せず、 仕方がなかったとは思いますが、とても困った記憶が残っています。
小学時代に入ってから5年生になるまでの間、小学校に通い「難聴学級」っていう教室で勉強しました。 「難聴学級」とは、耳が不自由な人が勉強するところです。健常者と一緒に勉強するのではなく、 昼休みだけ一緒に給食を食べたりしました。その当時の自分は、健常者の友達とは全く仲良くなかったので、 いじめられたり補聴器を取り上げられたり隠されたり色々ないじめを受けました。 それが嫌になり、両親に「学校へ行きたくない」と何回も言い続けました。 結局、両親と話し合った結果、別の学校に転校することになりました。
別の学校にいってもいじめを受けるではないだろうか・・・と不安に陥ることもありました。 転校後無事に卒業し、中学校へ入学し困ったことは1つありました。車のクラクションが聞こえず車にぶつかったことがありました。
高校は特別支援学校に入学しました。耳が不自由な人だけ集まって勉強をする学校なので困ったことはありませんでした。 ただ、行き帰りは電車です。帰宅中に九死に一生を経験しました。 駅のホームで歩いている際中に電車の警笛が鳴り、自分は聞こえなかった為、学校の先生に助けてもらいました。 私は無事でしたが、助けてくれた先生が大怪我で肉離れになったことがありました。 こうなったのは自分のせいだなと何回も思ったこともありました。
専攻科も特別支援学校でした。専攻科を卒業し、ついに社会人になり、決まった仕事先で不自由なことが多くあり困ったことばかりでした。 話が通じなくて相手がイラつき口論になったり、聴覚障害を理解してもらえなかったこともあり、遠くから呼ばれたり、後ろから呼ばれたこともあり、 それに対して分からなかったことも多々あり不満でした。 毎日、出社してもこのようなことばかりで、人間関係がうまくいかずに退職することにしました。 退職してから1年間、アルバイトしながら転職活動をしました。 多くの会社の面接受けるも、耳に障害があるために断れたこともありました。

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